もう限界だと思いませんか?借金大国・物価高の日本で、それでも選挙を繰り返す政治の正体 

正直に言います。日本はいま、選挙をしている場合ではありません。

借金まみれ、物価高、円安、実質賃金は下がり続け、努力しても生活が楽にならない国になってしまった。

それなのに、また選挙。また数百億円規模の税金が消える。

この国は一体、誰のために、政治をしているのでしょうか。

「民意を問う」という言葉ほど、便利で無責任な言い訳はない

選挙があるたびに聞かされるのが、「民意を問うため」「民主主義のコスト」という決まり文句。

では聞きたい。これまでの選挙で、民意はどこまで政策に反映されてきましたか?

・物価は下がりましたか

・手取りは増えましたか

・将来不安は減りましたか

答えは、ほとんどの人にとって「NO」のはずです。

それでも政治は言います。「支持率が高いから解散するのは当然だ」と。これはもはや民主主義ではありません。

国民の生活を賭け金にした、政権側の勝負です。

政治が見ているのは「国民」ではなく「数字」

政治の判断基準は、驚くほど単純です。

・世論調査の支持率

・議席シミュレーション

・野党の弱体化

・選挙区の勝敗予測

スーパーで何を諦めたか。電気代を見てため息をついたか。子どもの将来を考えて眠れなかった夜があるか、、、。

そんなものは、政治の判断材料に入っていません。

だから平然と、「今が勝てるから選挙をやる」と言えてしまう。

生活者から見れば、それは“この国の現実を見ていない”のではなく、“見ないと決めている”態度です。

 

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一部だけが潤う国を、いつまで続けるのか

いまの日本は、努力の量ではなく

・資産を持っているか

・情報を早く取れるか

・声を上げられる立場か

で人生の難易度が決まる国になりました。

円安で潤うのは一部の大企業。株価が上がっても、生活は楽にならない。補助金は出ても、恒久的な安心はない。

それでも政治は言います。「成長している」「数字は改善している」と。

数字が良くても、暮らしが壊れていたら意味はありません。

選挙に使われる税金は、本当に「仕方ないコスト」なのか

民主主義のコスト、という言葉で片付けるのは簡単です。

しかし本来、そのコストは 「政策が変わる」「生活が良くなる」可能性があってこそ許されるものです。

・争点はぼやかされ

・責任の所在は曖昧

・結果はほぼ見えている

そんな選挙に、これほどの税金を使う合理性はどこにあるのでしょうか。

「選挙が大事」なのではありません。「中身のない選挙」を繰り返すことが問題なのです。

それでも私たちが見るべき争点は、たったこれだけ

もう難しい話はいりません。

・物価高をどう止めるのか

・手取りをどう増やすのか

・社会保険料をこれ以上どうするのか

・次の世代に何を残すのか

この4つに正面から答えない政治は、生活者を見ていません。言葉が立派でも、ポスターが綺麗でも、

その視点と、本当に行動できるのか?!公約詐欺では、意味はない。

 

最後に 「何も変わらない」と思わされていること自体が問題だ

「どうせ選挙をしても変わらない」そう思っている人は、決して無関心なのではありません。

むしろ、一番この国の現実を分かっている人たちです。

ただ、その諦めを利用して、同じ構造が温存されている。

日本がこのまま「一部だけが潤い、我慢する人が増える国」になるのか。

それとも、

「努力が報われ、安心して暮らせる国」に戻れるのか。

それを決めるのは、政治家の戦略ではなく、生活者が“違和感を言葉にし続けるかどうか”です。

この選挙を、ただの「またやっている行事」にしてはいけない。そう強く思います。

投稿者: tokyofunliferealty